心躍る学びのつれづれ

維摩会 春秋館でお釈迦様の教えを学んでいます

有難い存在

本日は、昨日の冷たい雨から一変、晴れ渡ったけれど、冷たい大風が吹き荒れた1日だった。

最近は室内でトレーニングマシンを使ったり、街並を歩いたりする機会が増えた。

その日の朝は、室内で運動する気持になれず、久しぶりにいつもの公園に出かけた。

初夏のような次の日、朝から冷たい雨降りだったが、どうしても外を歩きたくて、しっかり防寒、雨対策をして家を出た。

公園の木立の中を回り出した頃には、幸いにも雨も弱まり、また雨のせいか、人も殆どいなかった。

ふっーと大きく息を吐いた。

なんとはなく自分の気持を見てみると、自分の中にある思いを、自分の外に置きにいっている感じがした。

意識的にやっているというより、自然とそうなっている感じだった。

その過程を経ることで、モヤモヤしていたものが、減ったように思った。

暫く公園の樹木の間を歩いて、やがて公園から離れ、住宅街を歩き始めた。

その時、樹木の中を歩いている時と何が違うんだろうと思った。

すると、さっきのように自分の気持ちを外に置きに行こうと思っても、壁のような物があり、外に出す事が出来なかった。

あーもうちょっと公園の中を回れば良かった、と思ったが、戻ることはせずに、そのまま帰路についた。

樹木の中を歩くと、癒されるのは、樹木たちが、自然と疲れた気を、引き受けてくれるからだろうか。

昔、定期的に友人たちと日帰りの山歩きに出かけていたことを思いだした。

大体3,4ヶ月に一度位のペースだったかなぁ、日々どうにもこうにも気持が、立ち行かなくなってくると、声を掛け合って山に行っていた。

行きの登りは必死だから、もくもくと登るだけだけど、頂上からの下り、人里に近づいてくる頃には、傾斜も緩やかになり、肉体は疲れているものの、心はすっかりリフレッシュしていて、「あーもっと自然に出かけてこないとなぁ〜」といつも思うものの、都会に戻ると日常に追われ、疲れ果ててから出かけることを、繰り返していた。

自然が大きければ大きいほど、癒しの力は大きいに違いない!!