心躍る学びのつれづれ

維摩会 春秋館でお釈迦様の教えを学んでいます

最後への段取り

少し前のお話し。

去年の敬老の日は叔母の施設へ義母の二人の弟妹が我が家に集まって一緒に訪問したが、今年は二人の弟妹は共に都合が悪く敬老の日は義母と主人と私の三人の面会となった。

遡ること1ヶ月前のリモート面会で、叔母が自分の指輪がどうなっているのか気になると言ったらしい。

私はすっかり忘れていたが、面会予定の前日に義母が探したが、アクセサリーが入っている箱は見つけたものの指輪は見当たらないと言う。

叔母のタンスなど開けたことも無いが、そういう物を仕舞ってあるところは自分もそうだが、大体決まっている。

箪笥の引き戸を開けて、小引き出しを引っ張るとそこに直ぐに見つかった。

義母に渡すと「良かった!」と言って早速、明日持っていくカバンの中に仕舞っていた。

翌日、義母と叔母は二人で指輪で盛り上がっていた。
義母「私の指には入らないわ!!」
叔母「こっちの指輪は高かったの!」といつになく嬉しそう。

指輪とか全く興味がない私は主人と別の話しをしていたが、突然「ねぇーしてみない?」と振られて、
「えー」全く気乗りがしないが、無下に断るわけにもいかず指に通してみると、予想に反して入った。

叔母曰く「私もいつどうなるか分からないから貰ってくれる?」

いらないとも言えないし、その場は「有難う!」と言っておいたが。。。

そういう事だったのかぁ〜

義母と叔母は姉妹といっても、叔母は下の妹さんとの繋がりの方が強かったらしく、義母が弟妹を引き連れて疎開した時も仕事の関係で東京に残った母親との生活を選んで疎開先に行かなかったらしい。

元々二人の繋がりが希薄な所にきて、私なぞは主人の実家に戻ってからの6年間のお付き合いで、特にこの2.3年骨折を繰り返してのお世話で距離が縮まった感じだ。

そんな中突然出現した指輪をどうぞと言われても戸惑ってしまった。

高齢な義母、そして以前は下の妹さんが色々と動いてくれていたが、下の妹さんといっても88歳、家も遠く最近は必要なことは私が動いているのが現実だ。なのでお礼のつもりだと思うが。。。

家に帰って来てから義母が指輪ケースを私に渡して、「もう自分の方に持っておいて置きなさい。」と言われたが、帰り際まで2つの指輪を指に嵌めていた叔母の姿が目に浮かび、とてもそうする気にはなれず、元あった場所に戻したのでした。

今回の事で身につけたアクセサリーを人に上げる難しさを感じると同時に今まで以上にとてもリアルに自分の死を身近に感じた。

運動をしてなるべく寝たきりにならないよう努力したとしても、老いは必ずやってくるし、その先にその時は必ず来るのだ。

今、我が家では叔母の承認を得て、私が叔母の荷物の片付けを、部屋の移動を兼ねて義母も自分の着物の整理を始めている。
本日朝顔を見にいくと、
「こんな風に整理していると、もう死んじゃうみたいで寂しくなっちゃったぁ〜」と義母が言った。

私「そんなことないよ!もうお役目が終わった物を整理すれば、お母さん自身が軽くなって動きやすくなると思うし、こうやって自分で整理出来る97歳なんて、そうそういるもんじゃない!まだまだ死なないから大丈夫!!」と励ましました。

私自身大した貴金属も持っていないけど、もう増やすことなく今持っているアクセサリーを使ってあげようと思ったし、

どの段階でどのように身の回りの物をシンプルにしていくのか、動けなくなる前にしておかないと、私たちには私達のような存在はいないのだから。