心躍る学びのつれづれ

維摩会 春秋館でお釈迦様の教えを学んでいます

一夏の乱闘騒ぎ

公園内を呼吸法をしながら歩いている時出会った小さな児童公園、砂場の周囲のコンクリートの感じに懐かしさを覚えた。

私が本当に幼い頃、父が経営する車の修理工場の事務所の二階に家があった。そして裏に児童公園があった。

母は三角屋根の小さな台所の窓から、屋根越しに僅かに見える公園のお砂場に、私の小さなおかっぱ頭を見つけて安心したと言っていた。

私は砂場で一人遊びをよくしていた。パターンは一緒、山を作りトンネルを掘って、トンネルの一方から、もう一方を道路を作って繋ぐ。
いつも同じで自分でもどこか飽きているけど、何か他の形を作る知恵はなかった。

その一人でよく遊んでいたお砂場はもっと大きかったし、もっと深かった。砂が固くなって少なくなると新しいふかふかの砂が入って嬉しかったことなども思い出した。

家の裏の児童公園は道路に面している反対は川で、川に接しているところは雑草に覆われた崖になっていた。当然背の高いダイヤモンドフェンスで入れないようになっていたが、子供が通れるような穴が数ヶ所空いていた。

缶蹴り遊びの時、その穴から入って崖の下の方を通れば鬼に見つからずに反対側に行けるので、狭い公園でも動きに複雑さが出て面白かった。

そしてあの一夏の思い出は小学校の4,5年生くらいのことだろうか。

年は同じだけど通っている小学校は異なる近所の女の子と、これまた近所の同級生の弟の3人で、他に遊んでいる子がほとんどいなかったから、朝早くだっただろうか。

何日くらい続いたのかも定かな記憶がないが、3人で三角ベース野球をやるのだ。滑り台の支柱が一塁そして二塁、ホームベースと決まっている。

野球が目的というより、アウト、セーフで揉めるのがいつものお決まりのパターン、乱闘騒ぎよろしく、3人で顔を突合わす。

その頃のプロ野球のマネをしたのだろうか。

いつも同じような時間に自然に集まってきて始まる。

結構飽きもせずやっていたように思う。

誰かが都合が悪くなり、そのまま自然消滅したような記憶がある。

その後女の子は引っ越してしまったので音信は途絶えたし、男の子の方は学年が違うので、ほとんど接点が無かった。

夏休みの気だるさ、家にいて時間を持てあまし気味だった感じ、毎日毎日飽きもせず3人で顔を合わせたこと、いつまでも続くと思っていたのに、突然終わりを迎えてしまった呆気なさなどなど、会えるものなら他の二人はあの時どう思っていたのか聞いて見たいと無性に今思う。