心躍る学びのつれづれ

維摩会 春秋館でお釈迦様の教えを学んでいます

デイケアデビュー

昨日、96歳母の機能訓練型ディサービスへの通いが始まった。
午後の2時間半休憩を挟んで、最初は皆で、後半はそれぞれ個人の状態に合わせての簡単な運動メニューが組まれているようだ。
事前にここを見学に行った時、施設の人が「内は他のデイケアのようにお昼を食べてゆっくりする所ではないです。」の話しと彼女の肝っ玉母さんのような人柄に好印象を持った。
朝降っていた雨も上った中、初日なのでお迎えの車を見送った。
このスタートに先がけて、母の担当のケアマネージャーさん、ディサービスの人が家に来て契約書を交わした。
叔母にはまた別のケアマネージャーさんが居るが、このケアマネージャーさんといい、病院に居るソーシャルワーカーさんといい本当に頼もしい存在なんです。今回叔母は骨折で入院した病院を退院後、リハビリ病院への転院を希望したが、これが結構混んでいて当初どうなるか分からなかった。が結果以前利用したことのある家から近いリハビリ病院に入ることが出来きた。
ソーシャルワーカーさんが言うには「ゴールデンウィーク前にリハビリ病院に移動したほうが良い。」とのアドバイス、せっかく身についたリハビリの習慣がゴールデンウィークでお休みしてしまうのは避けたほうが良いとのことだった。彼女の調整力でゴールデンウィーク前日にリハビリ病院への転院がパタパタと決まったのは、本当に有り難かった。

母にデイケアから帰宅後、感想を聞くと、やったことの内容や疲れたけど楽しかったこと、出来ないと恥ずかしいこと、何とか続けられそうなことなどの話しを矢継ぎ早に聞くことが出来た。
いつも体の痛いところにあった気持ちが、本日体験してきた数々に意識が向いていて、私も話していて楽しい気持ちになった。

本日の雨の中の蓮の花

身につけてこそ真の学び

維摩会 春秋館において仏教哲学の一つ唯識学を学んでいますが、単に知識を得ることが目的ではありません。
元々唯識はガチガチの空観思想に対抗して出てきたもので、唯識瑜伽行派と言われるように、この集団はヨーガをやっていた集団です。仏教の場合私たちが知っているようなヨーガというより、坐禅を中心として、禅定のプロフェショナルの人たちが導きだした、修行というものが大前提の学派なんです。
本会においても自己完成は如何にあるべきか、自己完成は如何に修するべきか、実践法として唯識を学んでいます。
でもとかく知的欲求の対象として扱われてきたり、知識の分析の方にいっているのが実情のようです。
例えば心身を乱し心の汚れとして煩悩(ぼんのう)がありますが、10の根本煩悩、10の少随煩悩、2つの中随煩悩、8の大随煩悩が上げられています。
例えば小随煩悩に忿(ふん*いかる心)、覆(ふく*隠す心)がありますが、心を分析し列挙することが目的ではなく、やっていることを自覚し、それを減らしていくのが目的です。
いつも自分が普通にやっている事に名前がついていて、それが白日の元にさらされているようで恥ずかしいばかりです。
お釈迦様が亡くなられて1千年後に出てきた唯識は、直接お釈迦様が説かれたものではありませんが、お釈迦様が説かれたものは延々と繋がっていているはずです。

桐は草の仲間!?

本日の朝の散歩で桐を見つけました。

上の方にある茶色の房状のものは何かと思い拡大してみると、

もっと拡大してみると、花が一つニつ残っているのを見て、花が散ってしまった後の景色だったと理解しました。

花は初夏に咲くとありましたので、今年は早く咲いたのでしょうか?来年は是非この薄紫の花で覆われた桐を見てみたいと思いました。
話し変わって、桐と言えば、タンスで有名ですが、実家には母がお嫁入りの時に持ってきた桐のタンスがあります。
母から「女の子が生まれると桐を植えてお嫁に行く時に成長した桐でタンスを作りお嫁入り道具にした。」と聞いた事があります。それくらい成長が早く10〜25年で成木になるらしいです。防湿効果、防虫効果があるので、タンスに適しています。
しかし今回調べてみて非常に特殊な、そして人間にとって有益な性質の持ち主と知りました。
軽さは日本の中では一番、世界中ではバルサ材についで2位ですが、バルサ材は柔らかく釘を打ったりすることは出来ないので、家具材としては不向き、比べ桐は軽量、強度を持ち、材料の狂いが少ないので家具を作ることが出来るそうです。
そして一番驚いた事は、木の仲間ではなくゴマノハグサ科に属し草の仲間だそうです。桐の断面を見ると、中心部が空洞になっていて、草の茎という感じだそうです、周りは木そのものですが。
木材は縦方向に繊維が並んでいますが、桐は繊維に混じって泡のように気泡が沢山あるそうです。
そして火に対して表面がすぐ焦げて炭化して、中が燃えにくくなるそうです。ここまできて昔の金庫の中が桐材だったことが思い起こされました。

残り少ないおねだりの機会

今朝の散歩で電線に止まっているつばめの親子を見ました。この写真の直前に、餌をおねだりして羽をバタバタしている個体にもう片方が餌をあげているのを見ました。
また、向って右側の個体の方が尾羽が長いのが分かりますか?左側は巣立ち間もないヒナと思われます。

つばめは春先になると見られる渡り鳥ですが、フィリピン、ベトナム、マレーシア、インドネシアから2000〜5000kmを飛んでくるそうです。そうまでして飛んで来るのは、日本には虫を捕食する競争相手が少ないので、この時期子育てするのに充分な虫が得られるからだそうです。
秋になると今年生まれたヒナも渡りのため一緒に飛んでいくそうで、4,5カ月後には初の過酷な長距離旅があるわけです。
「ツバメ返し」の言葉があるくらい、飛行能力が優れているのは、その飛び方を見ていても分かります。
細長い釜の刃のような形の翼や二股に分かれた長い尾羽が、その巧みな飛び方の必須アイテムなのは想像がつきます。
ヒナは秋までには尾羽もしっかり伸びて長距離の飛行に耐えうるだけの体力や飛行技術を身につけないと、生きのびることは出来きません。
そうかぁ、巣立った後に尾羽は伸びるんですね、巣の中で伸びたら大事な尾羽がこすれて痛んでしまう、自然の仕組みは理にかなっていて凄いです。

意外な結実

1ヶ月前公園を散歩中に、つる性の植物に見たことの無い小花を見つけた。

その花の色合いに心惹かれ、写メしたり、眺めたりすることひとしきり、次にこの植物の名前が気になり、
携帯の植物検索のアプリで調べると、映像と共に目に飛び込んできたのは「アケビ」でした。
アケビですかぁ~

アケビは知ってはいましたが、この控えめな小花と奇妙な果物の取り合わせは驚きでした。
アケビ」って知っていますか?
私たちの親の世代は学校帰りに、秋に実ったアケビをおやつ代わりに食べたと聞きました。
山野に自生するつる性の植物で、他の木に絡みついて成長し、秋にこの大きいな紫色の実がなるといいます。
数年前主人が職場から沢山貰ってきてくれましたので、食べる機会がありました。熟してくると実が自然と裂けます。中に沢山詰まった黒い種の周りの白いゼリー状の部分を食べます。結構甘いですが、食する部分はちょっと大きい白い芋虫を連想させる為、ちょっと躊躇してしまいました。懐かしいと言って一番喜んで食べたのは母でした。

木道の励まし

早春の頃、まだ歩いて行ったことのなかった、この公園に来てみた。
道路を挟んで、大きな池と小さな池を回り家まで戻ると1万歩で行けることが分った。

朝早く家を出ると、まだ人々の活動が始まる前、気持ち良く歩けることが分かり、早朝ウォーキングが日課になりつつある。

小さな池には一周くるりとウッドデッキによる木道が続いている。

最初の頃、大きな池を回って真ん中の道路に出ると丁度6千歩、この当たりで疲れてが出てくる。
このまま帰ろうかと迷うが、この木道を歩く時の靴底の感触の記憶が「もうひと頑張り!!」の気持ちにさせてくれる。
柔しく受けとめてくれる安心感と、カンカンと乾いた微かな音が心地よく、歩を進ませてくれる。

私たちのスーパーヒーロー

維摩尊者」という方をご存知でしょうか。
聖徳太子によって初めて日本に解説された仏典の一つ「維摩経」に登場する人物です。古代インドの富豪で、お釈迦様の在家の弟子となったといわれています。
1〜2世紀当時のインドでは部派仏教と呼ばれている教団が栄え、もっぱら自分の修行のみを熱心に行ったため、仏教は庶民から離れたものとなっていきました。
それに対して起こってきたのが「大乗仏教」と呼ばれた人々の集団でした。「人々の救済を通して自らも高めていく」人と関わることを積極的にしてきたのです。
維摩経」に登場する維摩居士は「この世俗の中で清らかに生きる在家修行者」として象徴的に描かれています。
お釈迦様が優れた十代弟子(出家者)に、病気で伏している維摩居士のお見舞い行くように言われると、皆かつて維摩居士にやり込められたことから、尻込みする場面は維摩居士の人となりを現しています。