心躍る学びのつれづれ

維摩会 春秋館でお釈迦様の教えを学んでいます

大事なタイミング


今、このオオムラサキツツジの光景が街のあちらこちらに見られ、咲き誇っている。

低木の生垣として道路沿いにもよく見られる。新緑が綺麗だが花がない。あったとしてもぽつんぽつんと、ところどころに見られるだけだ。
花が咲き終わった直後に剪定をしないで、遅れて切ると花芽を切ってしまい翌年花が咲かないという。
街路樹において剪定しているのは、作業効率の為か新芽が伸び切ったずっと後のことである。
この生垣全部が花で覆われたとしたら、見事だなぁと想像した。

96才の武勇伝

今度は96歳の母が腰が痛いと言う。いつもとは違う様子にかかりつけの整形外科に一緒に行った。骨折やひびはないとのことで一安心した。

40年前に変形性股関節症で両側の大腿骨頭、受け皿共に人工関節の手術をしている。30年が耐用年数と言われていることもあって、いつもとても慎重に生活している。

当初、今年の冬は全く外へ行かず、暖かくなって急に二日続けて散歩に行ったのが原因と言っていた。

二週間前叔母が尻もち転倒したときに、立ち上がるのに手を引っ張って助けたと聞いていたが、よくよく聞いて見ると、自分の肩につかまらせ、倒れた本人を抱えるようにして引っ張り上げたというのではないか!!そしてまたベットまで行くのに、びっこを引いている叔母を抱えるようにして一緒に歩いたという。それも二回も。

聞いてもうびっくり!!ひやりと肝を冷やした。

直後は何ともなかったので、母の中でそのことはそんなに大きなことではなく腰痛の原因をよくよく考えて、そういえばこんなことがあったと話してくれた。

五人兄弟の長女で疎開先でも皆の面倒を見てきた母、妹が立てないのを見て、自分の体のことも顧みず、咄嗟に体が動いたのだと思う。

何とか痛みが治まってくれるのを祈るばかりだ。

叔母の次なるリハビリ病院の選択、転院、母の機能訓練型デイサービスへ通い始める為の準備と、様々なことが押し寄せている。コロナの関係で面談が電話で助かっている。

 

 

 

 

身を滅ぼす過ぎたる自己執着

仏教の大きなテーマの一つに「執着を去る」があリます。
先日の維摩会 春秋館の講義で、唯識学の四分義の中の自証分、証自証分の実修があった。その日は自己執着を観るということで、その具体的な例を幾つか上げてくれました。どれもこれもいつも普通にやっていることで驚きました。
話題変わって、紫蘭という植物を知っているでしょうか。今の時期あちこちの庭先で咲いているのをよく見ます。球根で増えてとても繁殖力旺盛です。

我が家でもプランターの植木鉢で毎年花を咲かせている。根詰まりの為植え替えをしなくてはと思っていると、芽が出てきてしまい、あわてて作業をしてみて、びっくりした。
沢山の球根とぐるぐる回った根で、鉢は膨れんばかりにぱんぱんで、抜くことは出来ない。鉢を壊してみると、地面から芽を出せている個体はともかく、地面に芽を出す事が出来ない個体は、隙間を求めて下の方に向かっている物が幾つもあった。このまま植え替えをしなかったら来年は芽を出す事が出来ず、いずれは枯れてしまうのだろうか。
植物の繁殖力(自己執着)は生命維持の為当然必要なものであるが、行き過ぎは自分の身を滅ぼすとことになると、この情景を見て思った。
根っこの塊を全部ほぐし、数個の球根を新しいプランターに植え直し、残りの沢山の球根は庭の隙間のあちらこちらに植えてみた。

低血圧性マイナス思考

叔母の「低血圧による起立性めまい」と聞いて、思い至ったことがある。

私も低血圧である。

兎に角、体を動かしているのが好きで、というよりじっとしていると調子が悪くなってくる。

最近、早朝ウォーキングが日課になりつつあるが、その日の午後は、叔母との初めてのWeb面会、調子が今一だったのもあり、お休みした。午前中にやることを済ませて、午後母の居る母屋へ主人と行った。

時間を過ぎても何も始まらない、程なく病院から電話がかかってきた。

私の名前が見つからないという、実はこれ直前にこちらから出すメールを出していなかったのだ。「連絡したと言ったじゃないか」「連絡したよ予約の電話入れたよ」

事前の予約の電話と、直前のメール連絡は別物、説明書を読んで知っていたが、抜けてしまったのをここにきて認識した。

漸く終わりほっとして、自分たちの部屋に戻って来てゴロゴロしていたが、暫くして夕食の支度にかかろうとしたが、全くやる気がしない。

それどころかどんどんと底なし沼に入り込むように、気持ちが落ち込んでいき、ますます何もやりたくなくなる。こういう時に考えることは碌な内容でないことは、経験上知っている。夕飯に来た主人に「そこにあるおかずで食べて」と伝えて寝てしまった。

低血圧で循環が悪いのだろうか、運動した後の爽快感と、じっとしていて淀んできた時のなんという落差か!動けば解決するだろうに、何もしたくないという決意は強固である。

次の日の朝は雨予報だったが、雨でも行くと決めていた。ドアを開けて外に出ると雨は降っていなかった!少し前まで雨が降っていた公園は湿っぽっく、人気が少なくて落ち着いていた。

自分のパターンに陥らないよう、さあ今日も出発だ!!

 

筋肉貯金、骨々貯金一日にして成らず

叔母は入院して直ぐ「低血圧による起立性めまい」です、と言われた。

ベットから降りようとして尻もちを着いたとの叔母の説明だが、自分でもよく分かっていないようで、それ以上の説明はない。

前二回の夜のトイレの際の転倒は睡眠薬の服用と思われ、リハビリ病院入院中に飲まない生活習慣へと移行してもらった

なのでまさか!また!?どうして??と思ったが、この知らせで合点がいった。

体を動かして疲れると直ぐ横になって動きたがらない叔母は、筋肉が徐々に衰えるばかりで最近ちょっと危なっかしいなと感じていた、矢先のことだった。

面倒をみている母が「私が早く早くとせかしたからかなぁ」としきりに悔いているので、起立性めまいが原因だったこと、今まで一生懸命叔母の面倒みてきたこと、母でなければ出来ない事と励ました。

ますます理解力が衰え、最近は時々意識の混濁もある妹を見て、切なかったり、イライラしたり、不安になったり、焦ったりしたのだと思う。

遅きにあらずかもしれないが、二人とも、これ以上筋肉を衰えさせないように、ゆるゆると体を動かせる場所に定期的に行くのが必要だと思った。

二人の姿は、日々のかかと落とし、朝のウォーキングのモチベーションとなっている。

 

後期高齢者と後期高齢者予備軍の初Web面会

尻もち転倒で入院して一週間経過した叔母91歳と、昨日初めてWeb面会をした。

こちら側は主人の母(叔母の姉)、主人、私、私たちも初めての事だったので、少々ドギマギしながら始まるのを待っていた。96歳の母には事前に説明はしたものの、これからやろうとしていることの意味は多分分かっていなかったと思う。

画面に車椅子に乗った叔母が映ると、映像とはいえその姿を見れて安堵感が私たちに広がった。叔母も最初はとまどっていたが、聞きずらかったがその内いつもよりはよく喋るようになった。13分間の面会の終わりがくると「じゃねぇー頑張ってねぇ」と手を振ると、涙がこぼれてきた叔母の背中を看護婦さんが優しく撫でてくれた。そして再びお別れの言葉を言うとほどなくして映像は切れた。

Web面会は1時~3時の十五分間(一日8人)一週間に一度、完全予約制、予約はあっという間に埋まるとのことで、終わった直ぐに来週の予約を取った。

入院して最初の三日間はベットの上で絶対安静だったが、その後、痛めた右股関節に全体重をかけても良い段階に入ったと説明を受けていたので、身体的には安心していたが、夜にせん妄が出て睡眠薬を服用していると聞いてのWeb面会だった。

この短い時間に何を話そうかと事前に考えた。叔母の関心事といえば美容と食事に特化していると思っていた。

予想通り、会話が始まると最初に「顔も洗ってなくて」とそれに対して主人が「大丈夫、今マスクをしているから」に私は「叔母さん大丈夫、十分綺麗よ!」と主人の言葉にかぶせて何度も連呼した。実際91歳の叔母は昔日本舞踊をやっていた関係で姿勢は良く、家事などには全く興味はなさそうだが、いつもローラーでお手入れしている顔の肌はつやつやしている。

また「帰ってきたらウナギ食べようね」の呼びかけにも嬉しそうだったように思う

終了後、母は思いの他、顔が良く見えたと満足気、私たちは画面の小ささと、音声のタイムラグの不満を興奮気味に話し合った。

 

狂った季節

今年の1月2月は本当に寒かった。待ち遠しかった春は来たものの、その様相は今までとちょっと違う。
春は三寒四温といって以外と寒さと暖かさが入り乱れる季節だが、それが半端ない。
春を通り越し、初夏を思わせるような日だったか思うと、冬のコートを引っ張り出したくなるような日があり、雨が降ると梅雨を思わせるよう。一日の温度差が10度以上になることもあり、季節が一日単位でめまぐるしく変わる。
いつもだったらまだ固いつぼみのつつじ、さつきの花が目立ち始めている。本日はムクドリ鳥が巣材を口にくわえているのを見た。
昔、保護された野鳥の雛に餌をあげるバイトをしたことがあるが、ピークは6月頃だったように思う。
おかしさが加速している。