心躍る学びのつれづれ

維摩会 春秋館でお釈迦様の教えを学んでいます

身につけてこそ真の学び

維摩会 春秋館において仏教哲学の一つ唯識学を学んでいますが、単に知識を得ることが目的ではありません。
元々唯識はガチガチの空観思想に対抗して出てきたもので、唯識瑜伽行派と言われるように、この集団はヨーガをやっていた集団です。仏教の場合私たちが知っているようなヨーガというより、坐禅を中心として、禅定のプロフェショナルの人たちが導きだした、修行というものが大前提の学派なんです。
本会においても自己完成は如何にあるべきか、自己完成は如何に修するべきか、実践法として唯識を学んでいます。
でもとかく知的欲求の対象として扱われてきたり、知識の分析の方にいっているのが実情のようです。
例えば心身を乱し心の汚れとして煩悩(ぼんのう)がありますが、10の根本煩悩、10の少随煩悩、2つの中随煩悩、8の大随煩悩が上げられています。
例えば小随煩悩に忿(ふん*いかる心)、覆(ふく*隠す心)がありますが、心を分析し列挙することが目的ではなく、やっていることを自覚し、それを減らしていくのが目的です。
いつも自分が普通にやっている事に名前がついていて、それが白日の元にさらされているようで恥ずかしいばかりです。
お釈迦様が亡くなられて1千年後に出てきた唯識は、直接お釈迦様が説かれたものではありませんが、お釈迦様が説かれたものは延々と繋がっていているはずです。