心躍る学びのつれづれ

維摩会 春秋館でお釈迦様の教えを学んでいます

幕末史その2

前日からの続きです。

イギリスは中国に対する権益保護のため、日本を盾にするため横浜に軍艦を駐留させていました。

これに対して中国進出を考えたロシアは、中国に向かうルート上で地政学的に重要な対馬に1961年軍事施設を造り、イギリスとの争いを優位に展開しようと考えました。

当時対馬は外国船の滞在は認められておらず、外国奉行小栗忠順は退去を要求しますが、イギリスは対馬を狙っているので、ロシアの保護下になることを勧めました。

小栗は老中に対馬を直轄領として、その上で開港をすれば多くの国が来ることでロシア一国の支配を避けることを提案しますが、幕府には受け入れられず、幕府はイギリスの軍艦が対馬に向かうことを選択します。

イギリスとロシアの争いに巻き込まれ日本が戦場となる一触即発の危機でしたが、イギリスのロシアへの抗議によって、クリミア戦争で敗北したロシアには戦う余力がなく、軍艦の退去に応じたのでした。

両国の激突の危機からは逃れたものの、その後小栗の心配通りイギリスは日本への干渉を強めていくのでした。

ビクトリア女王の元7つの海を支配した大英帝国イギリスは世界の覇権を手に入れようと、その切り札として高性能の大砲を開発、量産したのでした。

自らの野望のため、日本を自国の陣営に入れたい思惑のイギリスは、1864年に日本との全面戦争を想定した、対日戦争計画を立案していました。

それは、●瀬戸内海の海上封鎖→天皇の御所が、ある京都を制圧するために大阪の無力化→将軍がいる江戸城の落城
というものでした。

そのような折り長州藩で外国船砲撃事件が勃発、国際問題に発展しました。この機会をイギリスが逃すはずはなく、日本に打撃を与えるべき長州に攻め込んできたのでした。

長州藩の大砲が届かない距離に停泊し、しかし長州藩を上回る射程距離の大砲にて攻撃をし、ニ時間余りで長州藩の砲台を占拠制圧してしまったのでした。

戦火が広まることを心配した幕府は巨額な賠償金を支払いましたが、戦争の火種が消えたわけではありませんでした。

国の存亡の危機に幕府はどのように動いたのでしょうか。

小栗たち幕臣はこの事態を早くから予期していたのです。
幕府の情勢判断を支えたのは友好国オランダでした。

イギリス軍の戦力を分析する中で幕府は日本に対する野心を知るようになりました。
幕府はオランダを介して列強の機密情報を収集し、国際情勢を分析する研究機関を立ち上げていたのです。

国を守るため軍事力の強化を急ぎました。幕府はオランダの協力を得て海軍力の増強に乗り出します。

切り札は軍艦開陽丸、イギリスの射程距離をしのぐ最新鋭の大砲を搭載した軍艦をオランダから購入する契約を結び、またオランダから指導者を招き軍事訓練をし富国強兵を推し進め海軍伝習所の勝海舟の元近代的な海軍を作り上げたのでした。

この情報をイギリスが知るところとなり、全面戦争で戦争には勝ったとしてもその打撃による財政負担が大きいと判断し、結果イギリスは戦争を放棄します。
富国強兵に努めた幕府は危機を逃れたのでした。

当時の欧米列強との経済力や軍事力の差を考えれば外国の植民地になる可能性は充分にあったわけですが、日本はアジアの中では例外的に独立を保ちました。

短い期間で富国強兵を成し、相手より上回る軍事力を備えた当時の日本国の気概に大いに触発されるものがありました。

列強諸国から日本を守ったご先祖様たち、今の日本国をみたら、何やっているんだ!!とはっぱをかけられるんだろうなあ。



〈雲一つあった本日の青空〉
たくさ〜んの日射しを身体に頂きました。本当に気持ち良かったです。