心躍る学びのつれづれ

維摩会 春秋館でお釈迦様の教えを学んでいます

平和な日本の恩人

前回の続きです。
同世代のウラジミール・プーチン大統領アンゲラ・メルケル元首相の歴史を少々振り返った時、自分が平和な日本で生きてこられたことを再確認した訳ですが、そこで忘れてはいけないのが、スリランカの初代大統領ジャヤワルダナ氏の存在です。

太平洋戦争が終わって、日本が GHQ の占領下にあった1951年サンフランシスコ講和会議が開かれました。
日本と連合国側との戦争状態を集結させるための講話会議が、52カ国の参加で、9/4〜9/8の4日間開かれました。

戦勝国である連合軍から出されてれていたのは、日本の分割統治、主権の制限、戦時下の被害に対する補償請求などの厳しい制裁措置でした。
連合国側の思惑が錯綜し、議論は紛糾しました。
会議の中盤、当時スリランカの大蔵大臣だった44歳のジャヤワルダナ氏の演説によってそれまでの会議の流れが変わったのです。
〈憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む〉というブッタの言葉を引用して会場に語りかけました。

「戦争中、スリランカは日本によって空爆を受け多大な損害を受けている。補償を受ける権利はあるが、私たちは賠償請求を放棄する」
「私たちは仏陀によって目には目を、歯には歯をという教育を受けていない。」
「私たちは許す。他の国もそうしませんか?」と呼びかけ「日本には寛大な措置をお願いする」と、
さらに「日本には何ら制限を加えるべきではない。何故ならアジアの皆がそれを求めていて、それが今後のアジア全体にとってふさわしい事だから。」と訴えたそうです。
この講話会議に出席する際、サンフランシスコへの直通便がなく、日本に立ち寄った氏は、鎌倉で鈴木大拙やお坊さんたちに会い大変感動したそうです。

「〈憎悪は憎悪によって止むことはなく、慈愛によって止む〉というブッタの言葉を私たちは信じます。これはビルマ(現ミャンマー)、ラオスカンボジア、シャム(現タイ)、インドネシア、セイロン(現スリランカ)を通じて、中国、日本にまで広まった、共通の文化と遺産として我々は受け継いできました。
途中日本を訪問した際、この共通の文化はいまだに存在していることを見出しました。日本の指導者たち、すなわち民間人のみならず、諸大臣から、寺院の僧侶から一般の日本人は、いまだあの偉大な平和な教師の影響を受けており、それに従おうと欲している印象を受けました。
われわれは彼らに、仏教を推し進めるという機会を与えなければいけません。だから、日本をゆるそう!!」と、

15分にわたる演説が終わると、賞賛の声と拍手の嵐が沸き起こり、それまでの会場の雰囲気が一変したそうです。

出席していた当時の吉田茂首相も、その場で涙を流したと言われています。
そして「スリランカへの恩を日本人は未来永劫、伝えなければならない」と口にしたそうです。

ソ連から出た分割統治に関しては、日本を4っに分けソ連アメリカ、イギリス、中国がそれぞれ支配下におくというものでした。
それに対してジャヤワルダナ氏は、お釈迦様の言葉を用いて、真っ先に反対してくれたのです。
氏の演説が会場の雰囲気を変え、日本の独立を後押してくれたお陰で、6年間のGHQの占領から取りあえずの主権を回復することが出来たのです。

氏は72歳でスリランカの初代大統領になり83歳まで勤め、90歳で亡くなる時、自分の角膜を一つはスリランカ人に、もう一つは大好きな日本人にと言い残し、それは実現されました。

スリランカではジャヤワルダナ氏の話しは語り継がれているそうですが、日本でははほとんど聞かれませんよね。
少なくとも歴史の時間に習った記憶はありません。

この史実に触れることは、日本が戦争をし、負けた事に向き合わなければならないからでしょうか。
自分たちがやってきた悪いこと良いこと全てにきちんと向き合うことが大事だと思いました。

しかし決して忘れてはいけないのは、このように日本を愛してくれたこと、仏陀による仏教を推し進める未来を信じてくれたこと、と思いました。

またその当時、氏の演説によって連合国側の心が動いたとしたら、それもそれで凄いことではないだろうかと思いました。
現代だったらどうなのだろうか、と疑念がよぎりました。

維摩会 春秋館はお釈迦様の教えを現代に伝えることを主眼としています。