心躍る学びのつれづれ

維摩会 春秋館でお釈迦様の教えを学んでいます

恩人の落胆

前回の続きです。

ジャヤワルダナ氏は何故こうもサンフランシスコ講話会議において、日本を擁護する演説をしてくれたのでしょうか。

氏は少年時代コロンボに寄港した、当時皇太子だった昭和天皇のお乗りになった船を見に行くほど、日本に憧れ尊敬を抱いていたそうです。
当時、イギリスの統治下にあって自国の伝統文化が衰退するセイロン(現スリランカ)では同じアジアにあって西欧の列強に対して互角に渡り合い自分達の文化伝統を守る日本に憧れを抱いたのです。
それは西欧列強に支配されていた当時のアジア諸国にとって、少なからず共通の思いだったのです。

この講和条約を境に日本は空前の経済発展を遂げましたが、その中で昭和天皇はこの時のジャヤワルダナ氏の演説に感謝され、スリランカに多くの援助がなされました。

サンフランシスコ講話会議から30年後の1979年、ジャヤワルダナ氏は再来日していますが、日本の恩人として宮中晩餐会が開かれ、天皇陛下の前でスピーチをされました。
スピーチの中で、講和会議当時の鈴木大拙氏とのやり取りを次のように紹介しています。
◆私は当時から、禅の世界的権威とされていた鈴木大拙教授とお会いしたことをよく覚えています。
私は鈴木教授は日本の方が信仰している大乗仏教と、私たちが信仰している小乗仏教はどう違うのかを尋ねました。
すると教授はこう言いました。「何故あなたは違いを強調しようとするのでしょうか。それよりも私たちはどちらも仏法僧を護持することで共通しており、無常、苦、無我、を悟るための八正道を信奉しているではありませんか。」
私は日本の仏教徒スリランカの仏教とを結びつける強い絆があることを感じました。(上田紀行氏より)◆

そしてこの演説は、「あの時皇居の周りは焦土と化していたけれども仏教の精神性はあった。しかし今は立派なビルが建ったのに一番トップのお坊さんたちは、こんなに堕落してしまった。」の趣旨の演説が続いたそうです。さすがに陛下の前ですから婉曲的な表現には留まってはいたようですが。
というのは、この時も以前のように日本の代表的なお坊さんたちと会って話しをしたいと言って会合が持たれたそうです。集まった各宗派のトップのお坊さんたちはジャヤワルダナ氏が仏教的な話しをしても、何も返ってこない酷い会合だったということです。

1951年のサンフランシスコ講話会議の時、もし氏が30年後の日本に立ち寄っていたとしたら、あの感動的な演説は存在しなかったのでしょうか?

〈連日の酷暑、昨日の朝日〉