心躍る学びのつれづれ

維摩会 春秋館でお釈迦様の教えを学んでいます

連携プレーで水難救助(妄想)

最近の朝のウォーキング、その日の状況に合わせて五千歩か一万歩か、の行程で行ける公園を選んでいる。そのどちらも水量がある池を囲んでの公園、当然のようにボート施設がある。

ある朝、おじいさんと孫二人で乗っているボートを見ながら歩いていた。

ふと、あの子供が立ち上がり池に落ちたらおじいさんは助けられるのだろうか。ライフジャケットを付けていないことからの発想だった。

もし目の前で子供が溺れかけていたら、どうする!!

と自分に問うてみた。

その日の夜の主人との会話。公園は主人の子供の頃の遊び場であったので話は早かった。

「子供が目の前で溺れかけたら、私は靴を脱いで、携帯と共にあなたに渡して飛び込み、溺れている人の顎を上にあげて、とにかくあなたが待っている岸まで連れてくれば、あなたが引き上げてくれる」と想像したと話すと、直ぐに話に乗ってきてくれて、

「俺は泳げないから飛び込む選択肢はない、溺れている人に前から近づいてはいけないんだぞ」私「うんうん」主人「おれは待っている間に携帯で119番だな」

テンポ良い会話に、あーこれで子供が一人助かった、と安堵した。

しかしその後、現実はそう上手くいくのだろうか、飛び込めるか、といつもの逡巡が始まった。