心躍る学びのつれづれ

維摩会 春秋館でお釈迦様の教えを学んでいます

スターリンとプーチン

5/23(月)のNHKの番組、映像の世紀-バタフライエフェクトで「スターリンプーチン」をやっていた。
衝撃を受けた。マスコミはプーチンが悪いと、こぞって放送しているが、その前にスターリンがいた。


スターリン
冒頭、
世界初の社会主義国家の指導者スターリンは、恐怖によって強大な国土を支配しソビエト超大国へと導いた。強い国を作るために手段を選ばず多くの国民を犠牲にした悲劇から半世紀、再び強力な指導者が出現した。
ウラジミールプーチンである。社会主義の崩壊を目の当たりにし、その絶望のエネルギーを復讐に転じた無名のスパイから大統領に上り詰め大国ロシアの復活を掲げた。
のナレーションで始まった。

プーチンスターリンについて、スターリンは30年間でソ連を劇的な発展に導いたこと、ドイツとの戦争に勝ち抜いたことを上げ、祖国を勝利に導いた人に石を投げる権利は誰にもないと彼を擁護している。

ソ連の建国の父レーニンはその遺書で、当時権力を拡大しつつあったレーニンを「余りにも粗暴である」と評し権力を握ることを危険視していた。
レーニンスターリン
スターリンソ連を劇的に発展させたと言っているが、それは多くの人々の犠牲と命を引き換えにしてだ、ヨーロッパの穀物庫と言われたウクライナを集団農場に強制加入、収穫物も家もなにもかも没収、飢饉の際にも徴収をやめずに、300万人が餓死したそうだ。
彼の狂気は自らの家庭も崩壊、夫の国家運営の内実を知り、妻は自らの心臓を撃ち抜いて自殺している。
この後の共産党大会では多くがスターリンに反対を投じるが、半数を処刑し粛清の嵐は軍人、知識人、一般人にも広がり2000万人もの犠牲者を出している。
プーチン独ソ戦に勝利していると言っているが、2700万人の国民を犠牲にしている。
軍人も多数粛清したので、組織だった戦いが出来ず苦戦
、追い詰められたスターリンは軍の崩壊を食い止めるため、戦場において撤退しようとした自国の兵士を後方から撃ち殺し、家族は強制就労所おくりにした。ロシア兵士は恐怖と憎悪で自暴自棄になって戦った。
レニングラードにおいては独ソ対戦の最大の悲劇があった。300万人の国民が取り残されたが、一歩も引くなというレーニンの指令で、包囲されること900日、100万人の餓死者が出ている。1944年に市民が開放されたのは、ソ連軍の反撃でドイツ軍を駆逐、戦況は逆転してソ連ウクライナをドイツから奪還した。
プーチンはこの包囲戦で父親と兄を亡くしている。余りにお腹がすいて気絶していた母親は死体と間違われ、生き抜いたのは奇跡に近い。
1953年にスターリンは死去しているが、その半年前にプーチンは生まれている。

●市民や政敵を弾圧し、周辺国への侵攻を重ねた旧ソ連の独裁者スターリンがロシアで人気を集めている。
プーチン氏は「手ぬるい」ロシアで高まる独裁者スターリン人気「民主主義ではなく『皇帝』が必要」
●米国と世界を二分した「超大国ソ連」への郷愁から強い指導者を求める声が拡大

などの記事を見て驚いた。本当だろうかと思った。強い指導者を国民が望み、「超大国ソ連」への郷愁を持つ国民が一定以上いる間は、ロシアの体質は変わらないのではと思った。

強い指導者を求めることは間違いではないと思う、問題はその強さの中身だと思う。

孔子様は中国の古典に学び徳の高い堯帝、舜帝(ぎょうてい、しゅんてい)が治められた世界を理想の社会とし時の為政者の元で理想を実現しようとしたが、かなわなかった。

スターリンのやってきた歴史を見るとプーチンが可愛らしく見える。

しかし、権力者は自分の周りを指示で動く人間で固め、政敵を陥れ、国外で抹殺し、権力を集中させ、自分の思うがままに、自作自演のシナリオで都合の良いように持っていくやり方は、共産圏では定番のように思えた。

大事なタイミングその2

昨日、お世話しているオオムラサキツツジの生垣をカットした。
4/26の記事で「大事なタイミングその1」と書きながらカットするのが遅くなってしまい、可愛そうなことをしてしまったと反省しきり。
この種類は花が終わったら直ぐに切って上げないと、これから伸びた枝に花芽が付くため、花芽が付いた後に切ると来年花が咲かない。
花芽はまだだと思うが、かなり伸びた葉っぱを切ることになり、樹木にエネルギーの無駄使いをさせてしまったのではないかと心配になった。
話し変わって、最寄駅の駅前広場には、白い大きなツツジの生垣が広場をぐるりと囲んで、毎年見事に花を咲かせている。
その生垣は、今年は天候不順のせいか例年ほどではなかったが、それでも充分に綺麗に咲いて直きに茶色く枯れてきたが、次に見たときには、もうスッキリ剪定されていた。
剪定前に新しい葉っぱは出始めていたが、少しである。
来年は絶対このタイミングで切って上げようと思った。
でも丈夫なオオムラサキツツジだから、肥料をしっかり上げて、来年に向けて綺麗な花を咲かせてくれるように見守りたい。

今栗の花が満開です。

母の愛は偉大


今年4月初めのカーネーションの鉢の様子です。
去年の母の日に、主人の母に送ったカーネンションの鉢です。
去年花が終わって、ほとんど枯れた茎だけになっても、日に当てたり家に入れたりとずっと母は面倒をみてきました。
そうやって冬を過ごし、最後に残った一つの葉が終わればこれでおしまいかと思っていたところ、新芽が出てきて葉っぱが出てきたのには驚きでした。
私だったらもう去年の花が終わった時点で片付けていたからです。

そしてこれが昨日の姿、こんなに緑の葉が増えました。そして去年からの葉の所に花芽が付いたんです!!!拡大してみますと、

カーネーションって強いんだと思っていたところ、今年背丈の低いカーネーションの苗が売られているのを見ました。そして次に、その苗が庭先に植えられているのに出会いました。
母の一年越しのカーネーションの出来事、その後苗が売られていたこと、庭先に植えられていたこと、この2つの出来事のテンポ良い出合いに不思議を感じました。

まもなく梅雨到来


いきなり、このような「どよん」とした映像から始まりましたが、外を歩くようになり、ぶ厚い雲で覆われた日は、この雲によって頭を押さえつけられている感じを受けます。
晴れた日は、カラッとしていて心の扉が開いて、意識が空高く遠くへ飛んでいくよう、心の中にあったごちゃごちゃも一緒に、飛んでいって心が軽くなる。
それに比べて雲で覆われた日は、閉じ込められた感じがして心が開かない。
そして雨の日は周り全て雨に囲われ、もっと狭い中にいる感じだけれど、それはそれで落ち着く。
全ては水が変化したものと気が付く。しかし地球の大気圏を超えて飛び出せば、いつもあの漆黒な宇宙が広がっている。

もうすぐやってくる梅雨、貴重な晴れ間にいつも思うのは、天井が全自動で開いて全てに日射しが注いだらいいのにと。

可愛いい花には毒がある

最近良く見かける地中海地方からやって来たナガミヒナゲシってご存知でしょうか。

ヒナゲシ(ポピー)と同じ外来種で、見た目はよく似ていますが、花や実が若干異なります。ナガミヒナゲシは花が小ぶりで実が細長い形(ナガミ)をしています。
そしてその強力な繁殖力が特徴で、国の駆除対象にはなっていませんが、地方自治体レベルにおいては、在来種の生育に影響を与える可能性がある植物として、注意を促しています。
花は風に揺れて可憐ですが、花が終わった後実がなるとこの植物のたくましさを示す様相を呈します。

一つの実の中に1600個の種があり、一株で100個近くの実がなりますから、その数の多さは驚きです。こぼれ落ちた種は風やタイヤ、人の靴底について生息範囲を広げています。
害虫や動物から自分を守るためアルカロイド系の有害物質を持っているので、素手で折ったりすると、手がかぶれるそうです。
また他の植物の生育を阻害する成分を出すのも特徴の一つだそうです。
放置しておくとあっという間に群れをなしてしまうので、実がなる前に抜くことが大切だそうです。

抜くのは簡単に拔けますが、未成熟の種でも繁殖力があるので、抜く時は静かに抜き、新聞紙などに包んで種を拡散させないよう注意を払う必要があります。
花が可愛いので庭先などで株を育てているのをよくみますが、私は発芽した小さい個体を見つけたら抜くようにしていますが結構生えてきますね。

思いの他、巡る季節


ウォーキングを始めた3月下旬の頃、新緑の柳と桜が主役だった。

対岸の柳も枯れ木をバックに際立っていた。

それがどうだろう、あの時の柳はすっかり溶け込んでいる。

岸辺の水性植物の変化も著しい。

寒さが緩み暖かさがましてきて、桜の開花が話題に上がる。
そして桜が咲き始め満開を経て散ると次に木々の新芽が芽吹き出す。
新芽のエネルギーに人の身体も心も躍動感に満たされる。
だんだんと強くなる日射しに呼応するかのように新芽はどんどん成長していき、その色も黄緑から濃緑へと変化していく。
いつの間にか、こんなに緑に溢れていたとは驚きだった。気が付くと、変化の時の躍動感は安定感に変わっていた。

キジバトって知っています?


これはキジバトといって、公園やお寺の境内で餌に群がっているドバトとは違うこと、ご存知でしょうか。
ドバトは個体によって色々な模様があるのに比べて、日本在来種のキジバドはこの模様だけです。それはドバトが元は伝書鳩のような家禽だったものが野生化していき、交配の過程で色々な模様の個体が生まれたためです。
ドバトは群れをなして人慣れしていて餌をもらおうと、人の足元に寄ってきますが、対してキジバトは基本人に慣れていません。公園なので地面を歩いているのを見ますが、この写真の個体もそうで、後をずっとついていって、公園の柵に登ったところをパシャリしたものです。
そしてキジバトの鳴き声は「デーデーポッーポー、デーデーポッーポー」という特徴のある鳴き方をします。ドバトは「クックックッ」「ポッポッポ」と短い間隔で鳴くので、はっきりと違いが分かります。
子供の頃の休みの日、親たちは朝寝が楽しみで、自分は目が覚めてはいても起き出すわけにもいかず、寝床の中でゴロゴロしている時、裏の公園から「デーデーポッーポー、デーデーポッーポー」と鳴いているのをよく聞きました。ドバトとは別にキジバトがいるとは、知りませんでしたから、子供心に鳩の日曜日の鳴き方と漠然と思っていました。
大人になってから、この声がキジバトの声と知って、キジバトは元々ヤマバトと呼ばれていて山にいた野生種だそうです。でもその鳴き声はお休みの日にぴったり、のんびり感に溢れています。